ロイヤルクラウンダービーRoyal Crown Derby商品一覧
1750年にイングランド中部の都市ダービーに創業したロイヤルクラウンダービー社で作られたアンティーク食器。イギリスで直接、買い付けたキレイなものだけをご紹介しています。
▼ロイヤルクラウンダービーRoyal Crown Derbyとは ▼
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英国のアンティーク陶磁器、ロイヤルクラウンダービー(DERBY POSIES)ポジーシリーズのカップ&ソーサー (m-5674-z)
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18,200円(税込)在庫2セット
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英国アンティークのスクエアプレート、ロイヤルクラウンダービーのポジー(DERBY POSIES) (m-8783-z)
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8,500円(税込)在庫1枚
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イギリスから届いたアンティークの小さなお皿、ロイヤルクラウンダービーのDERBY POSIESポジー (d-2008-z)
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5,400円(税込)在庫2枚
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ロイヤルクラウンダービーのミルクジャグ、ポージーシリーズのアンティーク食器 (m-8818-z)
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15,200円(税込)在庫1個
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英国アンティークのミニプレート、ロイヤルクラウンダービーのポジー(DERBY POSIES) (m-8690-z)
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7,400円(税込)在庫1枚
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英国アンティークのミルクピッチャー、 ロイヤルクラウンダービーのポージー (m-8594-z)
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15,200円(税込)在庫1個
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英国ロイヤルクラウンダービー窯のミニディッシュ、アンティークのDERBY POSIESポジー (m-8784-z)
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8,400円(税込)在庫1枚
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英国アンティークのカップ&ソーサー、ロイヤルクラウンダービー窯の(DERBY POSIES)ポジーシリーズのトリオ (m-8365-z)
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29,800円(税込)在庫7セット
ロイヤルクラウンダービー(Royal Crown Derby)とは
1750年にアンドリュー・ブランシュがイングランドのダービー州に小さな陶磁器工房を設立しました。それが、ロイヤルクラウンダービーの始まりとされています。
その後、優れた絵付師のウィリアム・デューズベリー、さらに1756年に、銀行家ジョン・ヒースも加わり、資本が安定してきたことで、3人で共同事業を開始します。
・・・が、この共同事業が一年ほどで解消。
アンドリュー・ブランシュとジョン・ヒースが窯を去り、ウィリアム・デューズベリーのみが窯に残ることとなりました。
絵付師でありながら、経営の才も優れていたデューズベリーは、英国で最初に磁器製作を始めたロンドンのチェルシー窯や、ボーンチャイナづくりを始めて試みたボウ窯を吸収合併することで
ダービー窯をさらに飛躍させていきました。
そのことにより、1775年に当時の国王ジョージ3世より、王室御用達と社名にクラウンを冠する許可を賜り「クラウンダービー窯」となりました。
1786年 デューズベリー亡き後、息子のウィリアム・デューズベリー2世が引き継ぎます。
父讓りの経営の才能と芸術性をもったデューズベリー2世は、父の亡き後も職人をまとめ、さらに窯を拡大していきました。
しかし、1797年にデューズベリー2世は病に倒れ、34才という若さで急逝してしまいました。
その後、窯の継承問題により、経営陣と職人の間でトラブルが起き、多くの優秀な職人たちがクラウンダービー窯を去っていきました。
そのことにより、クラウンダービー社は衰退していき、財政難に陥ります。
そこで手腕を発揮したのが、長年この窯で事務員をしていたロバート・ブロアーでした。
1815年にブロアーが経営を引き継ぎ、クラウンダービー窯を再生していきます。
1845年、ブロアー亡き後、またもや経営難に陥り、1848年にクラウンダービー窯は一旦閉窯されました。
ここでクラウンダービーは二つに分かれることになります。
一つ目は、当時の窯の主任であったウィリアム・ロッカーを中心に職人たちの一団で、キングストリートに新たな工房「ブロアー亡きあとのロッカーと仲間たち」として活動開始します。ここでは、クラウンダービー窯の鋳型や絵付けのデザイン、王冠の窯印などもすべてダービー窯と同じものが使われ続けてきました。
二つ目は、1877年に現在のロイヤルクラウンダービーの経営陣が宙に浮いていたクラウンダービー窯の権利を購入。オスマン・ロードに新たに「クラウンダービー製陶所」を設立しました。そして、ここでもクラウンダービー窯と同じ流れを汲む作品が作られてきました。
このことにより、長い間、こうしてこの二つの窯が別々にダービー窯の作品を作っていたということです。
1890年、「クラウンダービー製陶所」が当時のヴィクトリア女王から王室御用達の証である「ロイヤル」の称号を賜ります。
受け継いだ「クラウンダービー」の名に、さらにロイヤルの称号が入り、ここで「ロイヤルクラウンダービー」窯が誕生することになります。
1935年 ロイヤルクラウンダービー窯はキングストリートにあったもう一つのクラウンダービー窯も吸収合併し、全事業をオスマン・ロードの工場に集約します。 ここでダービー窯はようやく一つになり「ロイヤルクラウンダービー窯」として成長し続け、現在も作り続けられています。
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オールドイマリ
今でも作り続けられている「オールドイマリ」シリーズ。
経営の立て直しに尽力していたブロアーが目を付けたのが、当時の皇太子が愛した「イマリ」でした。 日本の有田焼を模倣して作られたイマリの流行を察知し、イマリの製作に力をいれていきます。 その後、イマリの大ブームに乗り、クラウンダービー窯では300種類以上のイマリパターンが作られてきました。
そして、今でもその美しいパターンは引き継がれ、ロイヤルクラウンダービーを代表するシリーズの一つとなっています。 -
デザイナー/デジレ・レロイ
1890年、フランス人のデジレ・レロイが入社します。 彼は、11歳からフランスのセーブル窯で修業し、その後渡英しミントン窯に在籍後、ロイヤルクラウンダービー窯に移籍してきました。
デジレ・レロイはダービー史上最も優れた才能をもつデザイナーとして、セーブルスタイルの美しい絵付けと贅沢ながら品のある素晴らしい作品をいくつも生み出してきました。 さらに、レロイは人徳もあり弟子の教育にも長けていました。その技術を受け継いだ絵付け師たちにより様々なパターンが生み出されてきました。
その中の一つ、英語で小さな花束を意味する「ポジー」シリーズは、イギリスらしいバラを中心とした美しい花々が食卓に彩りを添えてくれます。
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【ご紹介したアイテム】
イギリスで直接買い付けた、ロイヤルクラウンダービー社のアンティーク食器をご紹介しています。
ロイヤルクラウンダービー(Royal Crown Derby)商品一覧