【パリさんぽ】パサージュでタイムスリップしてみましょう

パリさんぽ

パリに行くと、必ず立ち寄りたくなる場所がパッサージュです。
私はパサージュのなんとも言えない独特の雰囲気が大好きなのですが、パリを優雅なイメージとはある意味真逆で、古くさくて足を踏み入れた瞬間、一気に昔にタイムスリップした感じがキライな方も多い場所。
そもそも、パサージュとはなにかなど、お散歩しながら詳しくお話しします。

パッサージュとは、どんな場所?

「パサージュ(passage)」とはフランス語で「通り抜け」という意味。
日本で「パサージュ」とか「パッサージュ」と紹介されるものは、正式には「Passage couvert(パサージュ・クヴェール)」と言い、フランス語で「ガラス屋根で覆われたパサージュ」と呼ばれるものです。

自動車が入らない道と道を結んだ、歩行者が通り抜けできる商店街のことなんですが、日本の商店街との一番大きな違いは屋根。ガラスやプラスチックなど透明の素材で屋根が覆われている商店街なんです。

なので、観光などで訪れた際、雨が降った日には最適の観光場所。傘なしで楽しむ事が出来ます。

一歩、足を踏み入れると、日本のアーケード商店街とは雰囲気が全く違います。それは、時間の流れ。
多くが19世紀前半に建てられたパサージュは、150年以上の時を経た今、過去の華やかだった繁栄をそのまま閉じ込めた状態で残っているんです。

そんな風に言っていると、パリの華やかなイメージがプラスされて素敵な場所に思われがちだけれど、実は、そんなイメージのまま行くと全く違っているから注意が必要です(笑)

そう、どちらかと言うと、どんよりとしてかび臭いようなイメージ(苦笑)
だから好き嫌いがハッキリしちゃう場所なんだけれど、パサージュの門をくぐると、まるで一気にタイムスリップして自分が150年前にいるような気分に浸れちゃうんですよね。だから、私は好きです(笑)

多い時には100を超えたパサージュ。現在、残っている19のパサージュは、全部、右岸にしかありません。どのパッサージュも同じように足を踏み入れた瞬間、まるで時空を飛び越えてタイムスリップ気分が感じられるので、一度は訪れて欲しい場所です。

古いものを扱っている私にとっては、使われている素材、全てが興味津々の世界。この古くささがたまりません(笑)

パッサージュの歴史を知ってみましょう

パサージュの原型は、1786年に開業したパレ・ロワイヤルの木の回廊と呼ばれた「ギャルリ・ド・ボワ(Galerie de bois)」。
両脇にブティックが並んで屋根の一部にガラスが使われて自然光が差し込んでいたことから大人気の商店街になりました。

ただ、ギャラリ・ド・ボアはあくまでパレ・ロワイヤルと言う宮殿の中庭に設置されていたので、厳密に言うとパサージュではありません。

パサージュ誕生のきっかけになったのは、なんとフランス革命までさかのぼります!
フランス革命で革命政府が必要としたのは、やはり予算。捻り出すため、教会財産や亡命貴族の財産を国有化してしまったんです。

これらの国有地を担保に国債(アッシニャ)を発行した結果、貨幣価値が暴落しました。
このアッシニャに目を付けて底買いした人たちがパリの繁華街にある大貴族の邸宅や教会の敷地を次々に買い占めたんです。

1853年からのパリ大改造に乗り出す前に、至る所に見かけられた並行する2本の公道を結ぶ抜け道を買い占め「両側に高く賃料がとれる店舗を!」と考えた結果、投資家たちの頭に浮かんだのが大人気だったギャルリ・ド・ボワのガラス天井でした。

買い占めた抜け道(passage)に風雨にさらされないガラス天井を設けた第一号のパサージュ。それが1791年に誕生した「パサージュフェイド―」です。

その後、人気になり、次々にパサージュが開通し一時は100を数えましたが、19世紀後半になってデパートが出現すると、とたんに廃れ始めて、繁栄から一気に衰退してしまったんです。そのまま解体されることも、リニューアルされる事もなく、150年ほどそのままで時間が経ちました。

ところが!1980年代後半に、モードレトロの波に乗って解体寸前だった「ギャラリ・コルベール」がフランス国立図書館の分館に指定されました。そのことをきっかけにデザイナーのブティックなどに利用されるようになり、今では観光地になりつつあります。

「PASSARGE VERDEAU(パサージュ・ヴェルドー)」

1864年に開通されたパサージュヴェルドーは、「パサージュ・ジュフロワ」の兄弟パサージュとして開発されました。・・・が、ジュフロアの大混雑に比べてヴェルドーは静まり返った状態のパサージュだったようです。
ヴェルドーとジェフロワは同じ開発母体によって造られたので、構造もすごく良く似ていて、鉄骨の骨組みで全体を作り、ガラス屋根もマンサード形。入り口の門構えもカッコいいんです。

中に入ると、こんな感じで天井はガラス張りです。
ジェフロワは当時、最大の繁華街だったグラン・ブールヴァールだったのに対し、ヴェルドーは1つ奥まったグランジュバトゥリエール通りだったので、ジュフロワのように繁栄しなかったヴェルドー。でも、そのおかげで素人の散策者じゃなくプロが好みパッサージュとしての地位を確立してきました。

なので、どちらかと言うとマニアックなお店が立ち並ぶパサージュ。古本屋さんや古いカメラ、古絵葉書や古ポスターのお店が立ち並んでいるので、なんとなく知的な人が多いイメージです。

「Passage Jouffroy(パサージュ・ジュフロワ)」

観光地として訪れパサージュに一番近いイメージのパサージュがジュフロワ。開通したのは1847年2月。
現在の「ホテル・ロンスレー」、当時「グラン・トテル・ド・ラ・テラス・ジュフロワ」と呼ばれたホテルのファサードの真ん中を貫通する形で開通したパサージュです。

建設が遅れたことで建築資材の進化が進み、ガラス屋根の骨組みが鉄に変わったことで、屋根のガラスも独特の形を採用し、ふんだんに光を取り入れることが出来たので、開放感にあふれて散策する人たちでごった返す繁栄のパサージュになりました。
また、パサージュで初めて暖房設備を取り入れて寒いパリの冬でも暖かく散策することが出来たことも人気の1つです。

階段を上がって見えてくるのは、ジュフロワの中で一番気になる「オテル・ショパン(Hotel Chopin)」と「ミュゼ・グレヴァン(Musee Grevin)」

グレヴァンはナダールと同じ時代に活躍したイラストレーター。カリカチュアを蝋人形で作って並べた蝋人形館がミュゼ・グラヴァン」です。ミュゼの中には小劇場もあり、まだ映画のない時代にアニメーションの先駆け「光のパントマイム」を上映し、大人気になりました。現在でも見学することが出来ます。

2つ星のホテルショパンは、パサージュに泊まりたいと言う夢を叶えてくれるホテルです。宿泊するなら409号室がおススメ。窓からパサージュの屋根とミュゼグレヴァンのドームを見ることが出来ます。

そして、この床。実はHandleのお店の床は、このタイルを真似しました。
本物はブラウンベースですが、Handleはグレーで仕上げてあります。

このパッサージュの中にあるコントワールドファミーユ。日本でも人気でした。

パサージュの中のタイルはめちゃくちゃ可愛いんです。トルコタイルなのかな?模様が可愛い~全部、持って帰りたいくらいです。

床を見ながら歩くのも楽しいパサージュです。

「Galerie Vero-Dodat(ギャルリ・ヴェロ=ドタ)」

1826年にハムとソーセージ屋さんを営んでいたブノワ・ヴェロとドダが開通したパサージュ、「ギャルリ・ヴェロ=ドタ」。
「パサージュよりも高級なパサージュ」と言う意味でヴェルサイユの「鏡の間」(ギャルリ・ド・グラース)を意味する「ギャルリ」が名前の一番最初に入っているようです。

郵便馬車や大型乗合馬車の発着場や、パリ随一の盛り場「パレ・ロワイヤル」がすぐ近くにあったところから、パサージュを造ろうと計画した2人でしたが、さらにもう一工夫して、お金を惜しまずパサージュ全体を思いっきりゴージャスな雰囲気にしてパレロワイヤルに対抗しよう!と思い付いたそうです。

思い切ってファサードに透明なガラスをふんだんに使い、間の壁はガラスで多い、床には白と黒のタイルを敷き詰めて、ガラス灯でライトアップするアイデアは大当たり!「まるでヴェルサイユ宮殿で買い物している雰囲気だ」と人気になりました。

大人気だったギャルリ・ヴェロドタですが、1840年に同じように天井にガラスと鉄をふんだんに使った新しいタイプのパサージュが建設されると「薄暗く、換気も悪い」と非難されるようになり、さらにパレ・ロワイヤルが賭博禁止令で集客力が衰えたこと、さらに鉄道の開通で長距離乗合馬車がなくなったことにより、人の流れが完全になくなってしまいました。 それから150年間、なんとギャルリ・ヴェロ=ドタは誰にも改装されることなく現代に至るまでそのままの形で残っているパサージュ。
それこそ、時間が150年前から完全に止まっているパサージュなので、中に入ると、一気にタイムスリップした気分が感じられます。

ちなみに、一番入口の部分には、女性の憧れレッドソールに心が躍る「ルブタン本店」まるでシンデレラの靴のように並んでいるので、ぜひ立ち寄ってみて下さい。
カッコイイお兄さんが相手してくれます(笑)

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